台湾アカデミー賞 3 部門、香港電影評論学会大奨 6 部門、そして香港アカデミー賞 10 部門ノミネートという快挙で一躍脚光を浴び、2023 年大阪アジアン映画祭コンペティション部門で上映されるや日本でも大きな話題となった香港映画『星くずの片隅で』(7/14公開)。メガホンをとったラム・サム監督は、これが長編映画デビュー作だというから驚きだ。コロナ禍の静まり返った香港の片隅で、誰にも気付かれずに生きる人々の孤独な心を優しい眼差しで掬い取った期待の新星に、本作に込めた思い、香港映画界の現状について話を聞いた。
<Story> 2020年、コロナ禍で静まり返った香港。「ピーターパンクリーニング」の経営者ザク(ルイス・チョン)は、リウマチを患う母の世話をしながら、車の修理代や品薄の洗剤に頭を悩ませつつ消毒作業に追われる日々を送っていた。そんなある日、ザクの元にド派手な服を着た若いシングルマザー、キャンディ(アンジェラ・ユン)が職を求めてやってくる。一人娘ジューを養うために慣れない清掃の仕事を頑張りはじめるが、子供用のマスクを客の家から盗んだり、ジューが犯したミスを隠すために嘘を上塗りしたり…。キャンディの“若さ”がザクと会社を窮地に追い込んでいく…。
――賃金、労働時間の改善を求めた清掃員のデモがきっかけで、この脚本書かれたというふうにお聞きしてるのですが、それは一つの象徴として清掃員をモチーフにしているのか、それとも清掃員自体に興味を持ち、その世界を描こうとしたのか、その辺りを少しお聞きできればと思います。
ラム監督:構想の段階では、清掃員という仕事や暮らしをメインにした話にしようと思っていました。働く時間帯が早朝だったり、あるいは深夜だったりするので、あまり人目につかない仕事、というところに興味がありましたし、とても映画的だと思ったからです。ただ、2019年に香港で大型のデモが起きて、2020年にはコロナのパンデミックが始まったことから、視野をもっと広げて、香港の一般市民の“象徴”として清掃員を捉え、彼らがこの社会の中でどんな困難に直面しているのか、そしてその困難をどう乗り越え解決していくのかを描くことにしました。彼らは清掃という仕事を通してさまざまな問題を解決してくれますが、では、彼ら自身が抱えている問題は一体誰が解決してくれるのか。そういった視点から、香港の現状に踏み込んでみたいと思いました。
――ここで描かれる主人公たちは、仕事も生活環境も厳しい中で、ギリギリの暮らしを強いられていますが、映像は凄く清潔感があって、劣悪な印象は全く受けませんでした。ある意味、香港映画らしい描写だと思いますが、これはラム監督の狙いだったのでしょうか?それとも、これが香港のリアルなんでしょうか。
ラム監督:狙いとしては、おとぎ話というか、童話のように少しチャーミングに描きたかった、というのも正直ありました。というのも、主人公たちが置かれている環境も、物語も、あまりにも悲惨なので、これ以上残酷にしたくなかったから。それに彼らはゴミ収集業ではなく、消毒系の清掃員という設定だったことも映像表現に少なからず影響を与えているかもしれません。ただ、リアルではないか?というとそうではなく、コロナ感染者を出したお店を防護服で消毒したり、孤独死した遺体の処理に立ち合ったり、そういった私たちが普段目にすることがない清掃員の姿もきちんと描いています。
――キャストについてお聞きしたいんですが、脚本の段階でザク役に、どちらかというとコミカルな印象が強いルイス・チョンさん(『イップマン 継承』『サンダーストーム 特殊捜査班』)の顔が浮んだそうですが、それはなぜですか?
ラム監督:現実的な話をすると、今回のザク役は40~50代の中年男性の設定なんですが、この年齢層でいい役者さんが香港にはなかなかいないんです。そう考えると、ルイスさんが抜きん出ていたので、もう彼の顔しか浮かばなかったんですね。それとやっぱり、私にとって初めての長編映画監督作品になりますので、信頼できる役者さんに演じてほしい、という思いもありました。だから、同じ演劇学校の先輩でもあり、経験豊かなルイスさんがザク役にふさわしいだろうということで、こちらは早い段階で決まりました。
――先程、「おとぎ話にしたかった」と聞いて腑に落ちたんですが、キャンディ役のアンジェラ・ユンさん(『宵闇真珠』)に関しては、最初「ちょっと綺麗すぎるんじゃないかな」と思ったんですね。ところが、物語を紡いでいくに連れてとても繊細な感情も表現されていて、最後はすっかり彼女の虜になっていました(笑)。
ラム監督:実を言うと、当初アンジェラさんとは別の役者さんを予定していたんですが、コロナの問題などでスケジュールが合わなくなってしまい、撮影の3週間前に急遽、お願いしたんです。キャンディというキャラクターは、香港の今を表すような若者をイメージしていて、中高年から見ると、問題ばかり起こすし、何考えているのかわからない。ただ、その裏側には、彼らに間違った行動を起こさせてしまうような環境や社会的要素が存在しているんですよね。今の若者は今の若者なりに精一杯生きている、その象徴がキャンディなんですが、アンジェラさんは見事に演じ切ってくれました。
――アンジェラさんの役者としての能力を引き出したのは、ラム監督の手腕だと思っているのですがいかがでしょう。
ラム監督:確かにアンジェラさんは、とても愛らしい女性なので、これまで作品に華を添える存在として扱われることが多かったですね。言い換えれば、自身の表現力を発揮する機会を与えてもらえなかった。ところが、こうして私の映画に参加して、期待以上の演技を魅せてくれました。私の力というよりも、もともと彼女はキャラクターについて深く考察し、理解する能力に長けた素晴らしい役者さんなんですよね。それに誰も気づいてあげなかっただけだと思います。だから、これからが本当に楽しみですね。
――本作を拝見して、新しい世代の香港映画の芽吹きを感じました。1997年、中国に返還されてからかなりの時間が経過しましたが、映画製作の現場は今、どんな感じなのでしょう。
ラム監督:1997年以前、香港映画は、少々言い方は乱暴ですが、思い付きで映画が撮れてしまう時代でした。それこそポルノだろうが、バイオレンスだろうが、アートだろうが、政治批判だろうが、何だって撮れた。それがおっしゃるように、1997年以降、香港市場自体が小さくなっていったので、どうしても中国のスタッフと映画作りをせざるを得なくなってしまったという流れがあります。ただ、中国は中国で自分たちの確立したスタイルを持っているので、簡単に香港の映画製作者がそこに入れるわけでもない。それに、映倫審査も凄く厳しくて、共同監督として参加した前作『少年たちの時代革命』が上映できないという状況も経験しました。だから、いろんな意味で、映画製作に対して“自問自答”するタイミングに来ていると思います。私も含め新しい世代の映画監督が次々と出てきているのも確かなので、香港映画の未来を見据えながらも、もっと世界に目を向けて、いろんな映画製作者と交流し、海外に進出するのも一つの方法かなと思っています。
まだまだ厳しい映画製作の環境の中で生まれた傑作『星くずの片隅で』。とても小さな作品かもしれないが、香港映画の希望の光と言えるだろう。海外進出、それも決して悪い選択ではないが、香港の現状に深く寄り添っているからこそ、その優しさが、その愛おしさが心に沁みわたる世界もある。ラム監督が今後、どの方向に向かって歩んでいくのか、期待を胸に秘めながら静かに見守っていきたい。(取材・文:坂田正樹)
■ラム・サム監督プロフィール
映画『星くずの片隅で』は2023年7月14日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、ポレポレ東中野ほか全国ロードショー
●映画『星くずの片隅で』公開記念舞台挨拶(7・14〈金〉16:30回上映後、7・15〈土〉12:00回、17:00回上映後/登壇者:ラム・サム監督)
●映画『星くずの片隅で』公開記念トークイベント(7・17〈月・祝〉16:30回上映後/ゲスト:くれい響〈映画評論家〉、リム・カーワイ〈映画監督〉)
※ゲスト、イベント内容が変更になる場合もあるので詳細は公式サイトを参照。