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JAN 07, 2023 インタビュー

ゴールデングローブ賞最多ノミネートの話題作『イニシェリン島の精霊』監督インタビュー!/2017年『スリー・ビルボード』で世界を驚かせた名匠マーティン・マクドナーが語る新作への思い

ブレンダン・グリーソンとマーティン・マクドナー監督(左)

劇作家としてキャリアをスタートさせ、演劇界に数々の栄誉ある実績を残してきた名匠マーティン・マクドナー監督。2004年、満を持して映画界に進出すると、初の短編映画『SIX SHOOTER』(原題)でアカデミー賞Ⓡを受賞し、2008年にはコリン・ファレル、ブレンダン・グリーソンらを主演に迎えた初の長編映画『ヒットマンズ・レクイエム』がアカデミー賞Ⓡ脚本賞の候補に。 そして、コリンと再びタッグを組んだ『セブン・サイコパス』(2012)を経て、2017年、もはや盟友となったコリン、そして稀代の演技派女優フランシス・マクドーマンドを招いて制作した『スルー・ビルボード』が世界で絶賛を浴び、ヴェネツィア国際映画祭で脚本賞、ゴールデングローブ賞では作品賞と脚本賞、英国アカデミー賞でも作品賞と脚本賞を受賞。第90回アカデミー賞Ⓡでは、主要5部門(作品賞、脚本賞、主演女優賞、助演男優賞、作曲賞)にノミネートされ、受賞こそ俳優部門のみだったが、映画界にその名を刻み込んだ。

あれから5年、マクドナー監督は、かつて観たこともない異色の心理ドラマ『イニシェリン島の精霊』を引っ提げ、再びスクリーンに帰って来た。彼が過去に書いたアラン諸島戯曲「イニシュマン島のビリー」「ウィー・トーマス」の続編とも言われる本作は、アイルランド沿岸沖の孤島を舞台とする悲壮な物語。ある日突然、親友から絶交宣言された男は動揺から心を乱し、やがて二人の関係は予想もしなかった壮絶な結末を迎えることになる…というなんとも理不尽な展開だが、マクドナー監督は、『ヒットマンズ・レクイエム』以来、コリンとブレンダンのコンビを復活させ、二人の激しくも切ない感情のぶつかり合いを見事に引き出している。ありきたりの形容詞では表現できない異色中の異色作『イニシェリン島の精霊』にマクドナー監督はいったいどんな思いを込めたのか。以下、オフィシャルインタビューからひも解いてみたい。

ヴェネツィア国際映画祭にて

●Interview

ーーマクドナー監督は、アラン諸島の舞台「イニシュマン島のビリー」「ウィー・トーマス」を演出していますが、これまでと違いイニシェリン島が“架空の島”というところが気になります。本作は、過去2つの舞台と関連性があるのでしょうか。

マクドナー監督:「THE BANSHEES OF INISHEER」(原題)という未発表の戯曲を書いたことがありますが、出来があまり良くなかったので、何年も前に完全にボツになりました。ただ、本作に通じるあの題名だけはまた使いたいと思っていました。なぜなら、奇妙で、神秘的で、誰もが同じイメージを想起できる題名だからです。

そしてこの脚本は、3年前に書きました。二人の友人が仲たがいする話をずっと書いてみたいと思っていたのですが、私の作品の中で、本作が脚本完成から作品完成まで最短だったと思います。いつもはもっと長く寝かせておくのですが、いざ書き始めると、一気に書き上げることができました。

ある意味、本作は舞台から始まったアラン諸島3部作の第3作目です。ただし、どの話も1話で完結してはいますが…。 最初の計画では、イニシェリン島というセットを組むはずでしたが、土地の造形がうまくいきませんでした。それに、舞台はあまり具体的にしたくありませんでした。ですから、イニシェリンは架空の島ですが、アラン諸島の島と同じ雰囲気を出していると思っています。結局、大部分を、アラン諸島で最大のイニシュモア島で撮りました。

ーーその雰囲気を言葉で表すとどうなりますか。映画を見ていると絶海の孤島という雰囲気があります。住人も、本国のことなどどこ吹く風、といった態度が印象的でした。

マクドナー監督:本国では、アイルランド内戦の戦火が猛威をふるっています。ですから、この映画では、二人の男の小さな戦争を描ききつつ、同時に、向こうの方では大きな戦争をやっています。そうした騒乱状態という感覚も描こうとしました。

来る日も来る日も、同じことを繰り返し、同じ人としか会わない島の暮らしは、偏狭になりがちです。この映画の面白いところは、もし、島の愉快で静かな毎日が、ある日破壊されたらどうなる? という着想です。

マクドナー監督とコリン・ファレル

ーーなぜ、この年代を設定したのですか。

マクドナー監督:この映画の舞台に、現代は合わないとずっと思っていました。二人の男の分断にも、内戦の両軍の分断にも、興味深い寓話的な側面があります。ですから、物語にその感覚を吹き込みました。それから、時代劇を撮った経験がなかったので、興味を持っていました。

美術部の功績により、登場人物や街が素晴らしく生き生きとしました。特にイマー・ニー・ヴァルドウニグの衣装は驚きでした。雰囲気ががらりと変わりました。脚本のテキストが、瞬時に視覚化されました。これは初めての体験でした。役の衣装を着た俳優が撮影現場に現れると、もう演技の必要もないほどでした。ありがたいことに、演技はちゃんとしてくれましたけどね(笑)。

時代劇では、現代を感じさせるものを使わないということが不文律となっています。できるだけ、そうしたものを使わないようにした方が、設定が現代のものより、映画が古くなりません。とは言うものの、『ヒットマンズ・レクイエム』のような現代劇でも、iPhoneやパソコンのような現代を感じさせるものは、できるだけ控えました。

ーー主人公のパードリック(コリン)とコルム(ブレンダン)はどんな人物ですか。

マクドナー監督:コリンが演じるパードリックは、優しくて、物腰の柔らかい、楽天的な男です。実際のコリンによく似ています。自分の暮らしに満足していて、小さな畑と、ミニチュアロバと、妹のシボーン(ケリー・コンドン)と一緒に住んでいる家を持っています。毎日うきうきしながら友人コルム(ブレンダン)に会いに出かけ、パブで一緒にビールを飲み、おしゃべりをします。死ぬまでこの調子でも本望なのです。

一方、コルムは、もっと積極的な人物です。アーティストになりたいと思っています。作曲家、あるいは、音楽家になりたいと思っています。もしかすると、もっと他のものにもなりたいのかもしれません。コルムは人生の岐路に立っていて、そうした分野を探求し、100%のアーティスト生活を送りたいのです。パードリックと言えば、ビールを1杯飲んで、おしゃべりすること以外に掲げる野望はなにもありません。コルムは、そんなパードリックと一緒にいることで、時間を無駄にしたくないのです。これは、世の中の多くの人が、コロナ感染爆発後のここ数年で感じていることと同じです。

脚本を書いている頃は、そんなことは思いもよりませんでしたが。これは、今や全人類にとって、ますます深刻な問題となっています。ですから、コルムはとにかく時間を無駄にしたくありません。ところが、パードリックは残念なことに、いえ、もしかしたら本人は残念ではないかもしれませんが、コルムの決意からの落伍者なのです。この2つのものごとの捉え方の違いから、物語は始まります。

ーーパードリックとコルムの仲たがいが始まる前のパブの日常は描かれていません。

マクドナー監督:そうですね。脚本を書いているある時点では、確かに回想シーンを検討しました。でも、10分でやめました。やはり、最初から争いの核心に迫りたい、と思ったのです。映画が始まって6分も経たないうちに、物語のポイントを理解できます。ですが、どう展開するかは分かりません。それでも、これは面白いことになりそうだ、と確信できます。

お客さんには、パードリックと同じように、なぜこの仲たがいが起きているのか、なぜこのドタバタが起きているのか、見当もつかない、ということが大事です。一般的に、物語を聞く時は、過ぎた説明は不要です。特に映画ではそうです。お客さんの想像に委ねることができる余地を与えるべきです。

ーーそもそも、なぜパードリックとコルムは友達になったのでしょう。

マクドナー監督:もともと、二人とも、気ままな好人物だったと思います。親切でもあります。楽しい人でもあります。ただ、コルムは、パードリックより年上です。多分、15歳か20歳上です。コルムは、人生の引き潮を感じ始めています。コルムは、残りの時間の貴重さに気が付きます。無駄にできない、と考えます。ところが、悲しいことに、コルムは、パードリックが時間をもてあそんでいると考えます。映画で目の当たりにするのは、精神的に強く結ばれていた2人の友人の間に起きる大喧嘩です。

本当の人間関係に起きる仲たがいの悲しさをできるだけ注ぎ込みました。全ての喧嘩別れでは、振った方も、振られた方も、言い分を持っています。映画のお客さんが、コルムとパードリックのどっちに共感するか、興味があります。コルムが吐く辛辣なセリフにうなずくのか、傷心のお人好しパードリックに同情するのか。あるいは、二人ともに。日々の暮らしで、誰もが、コルムである時も、パードリックである時もあります。

ーー役柄は、コリンとブレンダンに当て書きしたのでしょうか。

マクドナー監督:コリンとブレンダンに、『ヒットマンズ・レクイエム』以来のコンビを組んでもらいたかったのです二人とも仕事がしやすくて、とても優れた俳優です。『ヒットマンズ・レクイエム』は特別な映画で、誰もが続編をやるべきだと思っていました。ただ、また同じ設定で、二番煎じをやるつもりはありませんでした。全く違うストーリーであのコンビに復活してもらい、『ヒットマンズ・レクイエム』と同じくらい特別な映画にしてみたいと願っていました。あとは、『ヒットマンズ・レクイエム』の評判を落とさないように気を付けました。名作の名前を汚したくありませんでした。本当にそれが心配でした。名コンビを復活させておいて、コケることはできませんから。『ヒットマンズ・レクイエム』とは違うものにしなくてはなりませんでしたが、うまくいきました。

二人に当て書きしたのは、二人とも真実の醜さから逃げない、真実を追求する優れた俳優だからです。コリンとブレンダンは役がどんなに陰険であろうと、あるいは、どんなに邪悪になろうと、物おじせずに演じ切ります。セリフのひとつずつを誠意と誇りで満たします。二人は卓越したコメディアンでもあります。ただ、笑いを誘わない笑いです。『ヒットマンズ・レクイエム』の時と同じように、二人は喜劇の本質を演じました。そこが大いに笑えました。喜劇をものにしながら、同時に、作品の悲しみにも触れていました。いろいろな意味で、これは悲しい映画です。同じくらいに笑えるのですが、場面によっては、悲痛極まりないものになります。二人は、こうした難しい場面にも全く動じませんでした。

ーーパードリックとコルムの周りに、本当の近所づきあいのような感覚を醸し出しています。それを重視していましたか。

マクドナー監督:とても重視していました。私の作品では全てそうしています。脇の人物の一人ずつが個性を持つようにします。私は、いつもこう言うのです。「世の中の誰もが、自分の人生の主役です。」と。ですから、全ての脇の俳優さんたちも、そう扱うべきです。ですが、同時に、二人の男の間で戦争が始まっています。取り巻く人びとが、それにどう反応するかも描かなくてはなりません。この界隈のリアルな描写をしたかったのです。この大ゲンカに、誰がどっちの側につくかを描きました。

もう、脚本の域を超えています。脚本を書き始めた時、この話がどう決着するか、よく分かっていませんでした。こんなことは、かつて経験したことがありません。私は、普段、筋書きを構想したり、準備稿を用意したりはしません。最後に完璧なおじぎで終わるような映画や舞台や物語が好きではないのだと思います。幸せな結末であろうと、悲惨な結末であろうと、完璧な結論が出る終わりは面白くありません。何度も繰り返し観られる映画が好きです。きれいな結末が、計画通りに訪れる類いではない方が、好きな小説を何度も読みたくなるような気持ちにさせられます。勧善懲悪のヒーローものでは、そうはいきません。もう少し詩情のあるものが好きです。映画が終わったあと、あの登場人物たちは、これからどうなるのだろう、と想像させられる映画です。

例えば、『ヒットマンズ・レクイエム』なら、映画のその後を描くいいアイデアがあります。『スリー・ビルボード』は、そうではないかもしれません。『イニシェリン島の精霊』では、登場人物が映画のあと、どう生きていくかを描く明確なアイデアがあります。この映画のいいところです。結末がどうあろうと、問題ではありません。映画の展開が全く分からなかったとしても、その映画ならではの物語であればいいのです。映画がどう展開するかを想像することは、結末をネタばらしされることと同じくらい、面白いですよ。

ーー『ヒットマンズ・レクイエム』の少年や「ウィー・トーマス」のネコのように、無垢な第三者をよく登場させます。映画の物語に巻き込まれてしまう、周縁の存在です。本作でもそうでしたね。

マクドナー監督:はい、ケリー・コンドンが演じたシボーンとバリー・コーガンが演じたドミニクがまさにそれです。純粋で、善良な人々です。二人の男の争いに大きく影響されます。仲直りさせようと手助けします。この役柄はいい味を出しています。シボーンは島から出たいと思っています。将来の夢があるので、コルムの取った行動を理解できます。そのために、シボーンは兄のパードリックを深く愛していますが、コルムと通じ合うものがあります。ドミニクは、パードリックのように、のんきな男です。島一番の賢い男とは言えません。いや、もしかすると…ドミニクにまつわる物語は、本当の姿を知らない人物を断罪する人間の性(さが)を掘り下げています。

マクドナー監督とケリー・コンドン

ーードミニクもシボーンも問題を抱えています。それは、もしかすると、パードリックとコルムの絶交よりも、深刻なことかもしれません。

マクドナー監督:二人の主人公の話だけにならないことが大事です。そうすれば、島の孤立や共生という感覚がしっかりと生まれ、どこにでも起きている問題を照らしだします。ドミニクの身に起きることは、島の他の人々にも確実に影響を与えます。ドミニクの擁護に立ち上がる人と、そうでない人に別れます。それで、物語に別の次元が加わります。ですから、この映画は、単なる喧嘩別れの話ではないのです。まあ、この喧嘩は、それほど単純ではありませんが。

コリンとバリー・コーガン

ーー小さな町イニシェリンにぽつねんと佇む酒場。コルムは長いコートをなびかせ、大きな帽子をかぶってうろつきます。西部劇を意識したのでしょうか。

マクドナー監督:不思議なことに、衣装、あるいは、脚本のせいでしょうか、それとも時代設定のせいでしょうか、撮影が進むとともに、どんどん西部劇の様式に傾いていきました。戸口を通しての撮影や、そうしたジョン・フォード流の画があちこちに顔をだします。撮影案がどんどん発展していきました。パードリックとコルムは、二人の流浪のガンマンのようなものです。片田舎の酒場で仲たがいし、喧嘩になります。二人は、最初から西部劇の世界にいたわけではありません。不思議なことに、西部劇の要素が物語の大きな部分を占めるようになります。

ーーバンシー(精霊)はどこで現れるのですか。

マクドナー監督:多くの人が、アイルランド神話の幽霊であるバンシーを知っています。普通は女性です。若い場合も、歳をとっている場合もあります。むせび声をあげて、村々に不吉な死を告げます。バンシーのことは、この説明でほぼ言い尽くしています。映画を観れば、もっと深く知ることができるかもしれませんよ(笑)

映画『イニシェリン島の精霊』は2023年1月27日(金)より TOHOシネマズ シャンテほかロードショー

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