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JUN 05, 2024 インタビュー

医学では治せない心のしこり…『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』作者レイチェル・ジョイスが語る“800km”に込めた命の尊さ

本国イギリスで初登場No.1 の大ヒット!『アイリス』(01)でアカデミー賞®とゴールデン・グローブ賞の助演男優賞をダブル受賞した名優ジム・ブロードベントが主人公を熱演する感動のロードムービー『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』がいよいよ6月7日(金)より公開される。原作は、世界 37 ヵ国で刊行され、英国文学最高の賞であるマン・ブッカー賞にノミネート、日本では 2014 年本屋大賞翻訳小説部門第 2 位に輝いたレイチェル・ジョイスの傑作小説「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」(亀井よし子 訳/講談社文庫)。今回、自身の原作をもとに脚本も執筆したレイチェルに、本作に込めた思いを聞いた。

レイチェル・ジョイス(原作・脚本)

<Story> 定年退職し、妻のモーリーン(『ダウントン・アビー』シリーズのペネロープ・ウィルトン)と平凡な生活を送るハロルド・フライ(ジム・ブロードベント)。ある日、北の果てから思いがけない手紙が届く。差出人はかつてビール工場で一緒に働いていた同僚クイーニー(『めぐりあう時間たち』のリンダ・バセット)。ホスピスに入院中の彼女は余命わずかだという。ハロルドは返事を出そうと家を出るが、途中で心変わりする。クイーニーに会ってどうしても伝えたい“ある想い”があったのだ。ホスピスに電話をかけたハロルドは「私が会いに行く、彼女を救いに行く。私が歩いている間は生き続けてくれ」と伝言し、そのまま家に帰らず歩き始める。目的地までは 800km。彼の無謀な試みはやがて大きな話題となり、イギリス中に応援される縦断の旅になる。

レイチェル・ジョイス(原作・脚本)インタビュー

●小説は余命宣告された父のために書いたもの

――本作を観終わったあと、愛おしくてたまらない気持ちになりました。この物語が生まれた背景を知りたいのですが、レイチェルさんご自身の人生と重なる部分があるのでしょうか?

レイチェル:実話を参考にしている部分と、私の人生と深くかかわっている部分、その両方ですね。前者に関しては、身近な方が病気になり、その方のことを思って「ひたすら歩き続けている人がいる」という話をたまたま聞いて、何がその人をそうさせるのか深く知りたくなったんです。そしてちょうど同じ頃、ガンで闘病生活を送っていた私の父に余命宣告が下され、「彼のために何かを残したい」と思った私は、半ば衝動的に小説を書き始めました。父が読むことはないとわかってはいたんですが、この思いはどうにも止められなかった…。大切な方のために走り続ける人と、父を失おうとしている私の気持ちがどこかで共鳴し合い、物語として自然と繋がっていったのかもしれませんね。

800kmの旅に出るジム・ブロードベント演じるハロルド

――クイーニーに対してかなり懺悔の気持ちがあったハロルドが、800kmの旅を決断したのは確かにすごいことですが、同時に、ちょっと不謹慎な言い方をすれば、「彼女に誠意を示すチャンスが巡ってきた!」とワクワクする気持ちもどこかにあったのかなと思うのですが…。

レイチェル:その通りだと思います。「自分にも大切な人のためにやれることがあるんだ」と気づいた瞬間、それがたとえ辛いことであっても、ちょっと嬉しい気持ちになりますよね。クイーニーから手紙を受け取った時は、自分が長距離を歩くなど発想にもなかったと思いますが、返信文を書きながら、「普通のことでは懺悔の気持ちが足りない、不釣り合いだ」と自らどんどんエスカレートしていくわけです。最終的には800kmという苦難の旅になりますが、ある意味、贖罪の旅でもあるので、苦しければ苦しいほどテンションが上がるんですよね。ただ、普通の距離ではないので、これをやり遂げるためには、時にはダークな部分に足を踏み入れながら、いくつもの障害を乗り越えなければならない…ここがある意味、ハロルドの“まさかの旅”の見どころになるわけです。

――本作がさらに興味深いのは、苦難の旅であればあるほど、“自分と真摯に向き合う心”が生まれ、これまで避けてきた息子さんのことだったり、奥さんのモーリーンとのことだったり、一番大切な家族への愛が見えてくるところ。ネタバレになるので、これ以上は言えませんが、実はその家族愛こそ、この映画の肝かなと思っています。贖罪の旅であると同時に、帰る場所を探す旅なんじゃないかと。

レイチェル:原作を書いてる時に編集者が、「逆回りのラブストーリーだね」と言っていたのを思い出しました。「最後の最後に、今まで見失っていた愛を再発見する奇跡の物語じゃない?」と言われ、なるほどなと思いました。クイーニーの手紙から壮大な旅が始まり、大切なものを再び見つけ出し、そして明日に向かって新たな一歩を踏み出していく…。確かに行き着くところは“愛”なんですよね。

●瞳だけで語るジム・ブロードベントの名演技

――こんなにもチャーミングで素敵な作品に仕上がったのは、やはりジム・ブロードベントの名演があったからではないでしょうか。ハロルド役は彼しか考えられません。レイチェルさんはどう評価されていますか?

レイチェル:小説ならハロルドを頭の中で想像するだけでいいわけですが、映像だと当然、実体を見せなければいけない。しかも、演じるキャラクターに信憑性がなければ観客の皆さんがついて来ない。そういった意味では映像はタフなメディアです。そんな中、ハロルドを見事に演じ切ったジムは本当に素晴らしいと思います。例えば、彼の瞳を見るだけでも、今、何が起きて、彼にどんな影響を与えたのか、それが垣間見えるんですよね。瞳を通して深い思いを表現するので、いったい何があったのか…観客はどんどん知りたくなって、ジムに釘づけになっていくわけです。

――その場のリアクションといいますか、計算された演技だけじゃない人間臭さも魅力ですよね。

レイチェル:確かに人間臭いところはありますね。旅を通して、自分が全知全能ではないことを悟り、謙虚な気持ちで人の話にも耳を傾け、そこからいろんなことを学び始める。それによって、自分の中に埋もれていた恐ろしい喪失感というものと向き合い、そして徐々に折り合いをつけていく。そういった姿勢が他の人にも伝わり、いい影響を与えていくところがいいですよね。

――ロードムービーとしても面白かったですが、イギリスのめくるめく壮大な風景もこの映画の大きな魅力だと思います。これらロケ地は、全てレイチェルさんゆかりの地なのでしょうか?

レイチェル:原作に関しては、自分の知っている場所を想定して書いている場合が多いのですが、映画に関しては、制約もあるので撮影場所はいろいろですね。この物語は、南西部のキングスブリッジというところから始まるのですが、そこは私の夫が育った地域で、私もよく知っているところです。ハロルドの家は、小説を書いてる時から映画に登場するあの家のイメージがありました。あと、知らないところは地図を広げながら、ハロルドの動線を想像するんです。例えばハロルドは、「常に車生活で、ウォーキングなどしたことないような主人公だから、安全性を担保しながらたぶんA地点からB地点までをまっすぐ直接的に歩くだろう…」と想像しながら場所を選び、撮影隊は全て場所をロケハンしたそうです。実際に歩いた距離は、結果的には、ハロルドの800kmより少し多いかもしれません(笑)

――レイチェルさんのご自宅も撮影で使用したそうですね。

レイチェル:最初にハロルドが納屋みたいなところで寝るシーンがありますが、あれは実はうちの庭の端っこの方で撮影しました。野原をハロルドが歩き回ったりするシーンも、一部、私の家の庭で撮影しています。だから映像で観ると、見覚えがあったりして、ちょっと不思議な感じがしますね(笑)

●小説を書く前から映像化が見えていた

――それにしても脚本の構成力が素晴らしかったです。いわゆる二刀流ではないですが、小説を書いてる段階で、映像化も意識していたのでしょうか?

レイチェル:もともとラジオ劇の脚本を手がけていて、実はこの物語、45分のラジオ劇として書いたのが始まりなんです。尺にすれば映画の半分くらいですよね。それが私にとって1冊目の小説になったわけですが、すでにキャラクターがはっきり見えていたのがよかったと思います。それともう一つが構造ですね。どういう風に始まって、どういう風に終わるのか、重要なポイントはどこなのか、ドラマとしての構造が、小説を書く前からもうわかっていたんです。脚本家としての視点が私の中に基本としてあるので、そこはスムーズに対応することができました。

――最後に、レイチェルさんの作品に、クイーニーが主人公の小説と、ハロルドの奥さんモーリーンが主人公の小説がありますが、この2冊をスピンオフとして映像化する予定はありますか?

レイチェル:もしそれが叶ったら、素晴らしいことですよね。ただ、映画の企画を1本立ち上げることの難しさをよくわかっているので、ハロルドの物語で映画を作ることができただけでも幸運だったと思います。

(取材・文:坂田正樹)

レイチェル・ジョイス(原作・脚本)プロフィール/イギリス生まれ。俳優として、TV、ラジオ、舞台などで活躍し、2007 年には 英国で優れたラジオドラマに与えられるティニスウッド賞を受賞。本作の原作で ある「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」で小説家デビューを果たし、 2012 年に英国文学界最高峰の賞であるマン・ブッカー賞にノミネート。 さらに同年、ナショナル・ブック・アワード新人賞を受賞。2014 年には英国 年間最優秀作家賞の最終候補者にも選ばれた。その他の著書は、ハロルド・フライ を待っていたクウィーニーを主人公にした、「ハロルド・フライを待ちながら クウィーニー・ヘネシーの愛の歌」と、 妻モーリーンを主人公にした「Maureen Fry and the Angel of the North」(原題・未翻訳)など。自ら脚色した本作 が初の映画脚本となる。

<Staff & Cast> 監督 へティ・マクドナルド/脚本・原作 レイチェル・ジョイス「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」(亀井よし子 訳/講談社文庫)/出演 ジム・ブロードベント、ペネロープ・ウィルトン2022 年/イギリス/英語/108 分/ビスタ/カラー/5.1ch/原題:The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry/日本語字幕 牧野琴子/提供:松竹、楽天/配給:松竹/後援:ブリティッシュ・カウンシル/公式サイト:https://movies.shochiku.co.jp/haroldfry/

© Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022

映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』は6月 7日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋ほか全国公開

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